(2001年 産経スポーツ新聞 コラム「甘口辛口」)
参院選の静岡選挙区で2位当選した民主党新人の榛葉賀津也さん(34)は高校(掛川西)時代、甲子園を目指した球児だったそうだ。ただし、レギュラーではなく背番号『15』の控え選手である。
今年刊行された掛川西高野球部100年史には、昭和60年夏の県大会でこんな記述がある。『・・・必死の粘りを見せたが、逆転には至らなかった。翌日の新聞には三塁コーチの榛葉がうずくまる姿が大きく掲載され、"生涯一サードコーチ"とたたえられていた』。
高校時代、イラン・イラク戦争に関心をもち中近東の本をむさぼり読み、米国の大学を卒業後、イスラエルの大学に留学し国際平和問題を研究した。帰国後、26歳で菊川町議に当選。ときには大胆な判断力を必要とする三塁コーチの経験を人生にも生かした。そのかたわら、高校野球の一級審判の資格をとり県大会の審判も務めた。「自分のジャッジで子供たちの人生まで変えたくない」と冷静なジャッジを心掛けている。
選挙戦で前面に押し出したのは若さと元球児。野球を売り物にしすぎると、野球の嫌いな層から反感を買うのではという懸念もあったが、選挙の時期もよかった。人柄もあってか、野球部の先輩や同期生が次々に友情応援を買って出た。『目指せ政治の甲子園』の横断幕をバックに学ラン姿の『コンバットマーチ』で、大いに盛り上がったという。
元プロ野球選手、元力士、女子プロゴルファー、元フィギュア選手・・・と、参院選にはスポーツ関係から続々立候補し、大方の予想通りの結果に終わった。過去の名声だけで当選できるほど選挙は甘くない。『15』番の当選がそう教えているようだ。
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