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しんば賀津也 プロフィール 写真で綴るシンバ

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出生時

1967年(昭和42年)4月25日に生まれた私。この時の我が家は、父母に姉兄、曾祖母に祖母に祖母の妹と私という8人家族。私の父も母も共に戦争遺児であったため、子供への躾、教育だけは厳しかった。生まれながらの小児ぜんそく持ちで、母親が毎日、電車で50分かけて静岡市内の日赤病院へ通ってくれた。

 家族に「可愛くなさすぎ〜!!」「そんな豚みたいな写真だけは出さないでぇ〜」といわれたが、生まれた時の写真はこれ一枚のみだからしかたがない。一緒に写っている兄と比べると確かに我ながら、醜い。(中央は母)

三歳時

三つ子の魂百まで・・・この頃から私の背後には、姉の姿が・・・・。お目付け役は今も昔も変わらない。


 私の故郷は静岡県菊川町。当時は人口3万人程度のお茶が主産業の町だ。当時、我が家は20匹以上のウサギを飼育していて、ウサギへの餌やりは子供たちの仕事だった(写真左側にウサギ小屋があった)。時折、薬品会社の男たちがやってきて、何匹かのウサギをまとめて持って行ったのを記憶している。(それが何を意味しているのかを理解したのは、相当後になってのことだった・・・)以前、父に「なぜウサギ飼ってたの?」と聞くと、「だってお父さん、うさぎ年生まれだから・・・」の答え。解かりやすいというか、意味不明というか・・・。(中央が私、後が姉、右が兄、左は近所の沢崎かよ子ちゃん)


かけっこ、いたずら・・・なんでも一番にならないと気が済まなかった堀之内幼稚園年長児の私。人生最初の恩師である加藤美枝子先生には、今でもご指導を頂いています。この頃から、厳格な父の「命令」で牛乳配達(⇒エピソードへ)を始める。以来、8年間毎日、牛乳配達を続けさせられたが、今ではいい思い出。いまだに地元のおじさんやおばさんから「かづやクン、よくやったよねぇ〜」と言われるが、自分でも「そう思います」。

 厳しく、変わり者の父親は、私たちから常に恐れられていた。そんな父も3年前に他界。今思うと、いい親父だった。「親孝行 したいときには 親はなし」は本当だ。

小学校

 私の人間形成に最も大きな影響を与えてくれたのが、この堀之内小学校時代(⇒エピソードへ)。4・5・6年の担任だった鈴木孝治先生(右から3人目の先生)と当時の太田勝昭校長先生(写真左端)の授業や指導は今でも私の全ての原点。今では、「人生」と共に「お酒」のご指導も頂いている。

 「脚下照顧」「無言清掃」「出船の用意」「シャボン玉」「愛の鞭」「あすなろ」・・・ご指導いただいた一つひとつが、この歳になって胸に響いてくる。真の「恩師」に出会い、本物の「教育」を受けさせて頂いたこの頃に、ただただ感謝。(私はどこでしょう・・・)

中学・高校時代


ただひたすらに「野球一筋」だった中学・高校時代。勉強は、あまりしなかった。中学校時代は、キャプテンでレギュラーだったが、県立掛川西高時代は万年補欠。三塁コーチボックス(⇒エピソードへ)が指定席に。甲子園出場は果たせなかったが、この時代に本当の友をつくることができた。「甲子園」(⇒エピソードへ)は今でも我々の目標だ。

アメリカ時代

高校卒業後、渡米。米国に着いてまず驚いたのが、日本人学生の多いこと。そして彼らの多くが日本人同士で固まっていること。今だからわかることだが、この時点での「生活の仕方の選択」が、留学の"勝ち組"と"脱落組"との明確な分岐点になる。辛かったが、私は「英語がものになるまで日本人であることを隠そう」と覚悟を決めた。国籍不明の"謎の東洋人"に成りすました。これなら誰でも私に英語で話しかけなくてはならない。この作戦は成功した。おかげで、良質の米国人とも素晴らしい人間関係を築くことができた。この頃は自分でも本当によく学び、よく働いたと思う。

 5年間の米国生活(⇒エピソードへ)で、素晴らしい米国、独善的な米国など、様々な米国を学ぶことができた。米国には問題点が多い。しかし、米国と米国人は恐ろしいほどの包容力とダイナミズムを持っている。米国人のメンタリティーや生活習慣を知らずして、米国の政治は理解できない。米国での大学時代で、政治の基礎を学ぶことができたと同時に、国際社会の中で生活していく上での「基本的なルール」を学ぶことができた。貴重な5年間だった。


大学の同窓で親友のブライアン・カニングハム現オハイオイ州道路局長の結婚式で"GROOMSMAN"を務めたときの1コマ

イスラエル時代


 政治を志すきっかけとなった、3年間のイスラエル・パレスチナでの生活(テルアビブ大学での1年、エルサレムでの国立ヘブライ大学大学院の2年)は私の人生に強烈な影響を与えた。そこで出会ったエフド・ハラリ教授や手島佑郎先生、渡辺朗先生(⇒エピソードへ)をはじめとする多くの方々から、政治とは何か、国家とは何か、民族とは何か、歴史とは何か、国防とは何か、生きるとは何か、真剣に考える機会を頂いた。

 私と同世代のイスラエルの若者たちが兵役に就き、命を落としていく姿を目の当たりにし、同世代のパレスチナの友が、インティファーダの犠牲になっていくのを目撃した。日本人として、私が何をすべきかを自問自答したのもこの時期だった。時はあたかも、冷戦崩壊と湾岸戦争勃発といった、激動の時代だった。自分自身、テロに襲われたことも経験しながら、「政治」の大切さを身体で学び、政治家になろうと決意したのもこの時だった。


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