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ウィークリーコラム  
2004/05/11
「シリアレポート その1」


今後の中東情勢を考える上で、大きな鍵を握る国のひとつにシリアがある。
シリアはイラク、ヨルダン、トルコ、そしてイスラエルと国境を接する東アラブの要だ。人口は1800万人。国土は日本の約半分の18.5万平方キロで、GDPも219億ドル/年と決して大国とは言えないが、その歴史的かつ政治的な存在感は計り知れない。

アッシリア文明やヒッタイト文明の発祥の地として有名なシリアは、古代から東西貿易の中継地として栄えてきた。しかし、貿易の中継地点という性質上、常に外部からの侵略に悩まされ、支配者も数限りなく変わってきたことも事実である。ギリシャ、ローマ、十字軍、モンゴル軍などに支配されたこの地域は1516年以降400年続くオスマントルコ帝国の支配下に入るが、現在のシリアの首都ダマスカスやアレッポはこの頃からコンスタンティノープル直下の重要な県(province)のひとつとして位置づけられていた。第一次世界大戦が終わり、サイクス・ピコ協定という名の“英仏の論理”によって一方的に国境が形成されてしまったシリアは、1920年にフランスの委任統治領になり、第二次世界大戦後の1946年、フランスの撤退によって独立を果たすことになった。

シリアはその歴史的、地政学的重要性に加え、バース党誕生の地として常に汎アラブ主義の中心的存在であり続けている。とりわけ1970年以来続いたハーフェズ・アサド大統領は国内少数派のアラウィー派(10%)の出身ながら、多数派スンニー派(60%)を掌握しながらの巧みな政治手腕と徹底した対イスラエル政策で、長期安定政権を維持した。2000年6月10日のハーフェズ死去後、大統領に就任した次男のバッシャールはシリアの「経済開放」や「自由化・民主化」の姿勢をアピールしているが、基本路線は父親の時代と変わっていない。

米国のブッシュ大統領は2003年3月17日の演説で、イラン、イラク、リビア、スーダン、北朝鮮とともにシリアを「国際テロ支援国家」に指定した。シリアは“ならず者国家”“悪の枢軸”などのレッテルを貼られ、我々にはその真の国家像が伝わってきていない。日本においてもシリア専門家は意外に少なく、政治家たちも欧米から来る情報を頼りに、ステレオタイプなシリア像で議論をしてきているのが現実である。

かく言う私も、シリアへは一度も足を踏み入れたことがなかった。と言うより、踏み入れることができなかった。シリアは基本的にイスラエルと準戦時下にあり、イスラエルを訪れた経験のある外国人のシリア入国を禁止している。3年間のイスラエル滞在経験がある私にとって、シリア訪問はまさに夢にまで見る大願であった。そんな“訳アリ”の自分を、偉大なる同僚・若林秀樹参議院議員が「榛葉クン、シリアに行こう!」と誘ってくれた。涙が出るほどうれしかった。が、心配もあった。「入国審査で引っかからないだろうか・・・」「シリアで逮捕されないだろうか・・・」「テロの心配は・・・」(出発の前日バグダットで何者かによるテロが発生、死傷者が出ていた)

そのような不安を一掃するかのように、外務省や在京シリア大使館の温かいご配慮でシリア行きのビザが下りた。特に駐日シリア大使で前シリア財務大臣のカハタン・スィユフィ氏は、私の“過去”を知りながら「ぜひシリアの政治家たちと実のある議論を交わし、本当のシリアを理解してきてください」とのお言葉を下さった。懐の深い大使である。(シリア訪問を直前に控えて表敬訪問した私に「ところで榛葉サンは中東地域を訪れたことがあるんですか?」と牽制球を投げられたのには参ったが・・・)大使のおかげでシリア訪問中、バース党の実質トップであるアブドラ・アル・アハマル氏との会談が実現したことは本当に幸運だった。

遠足前夜の子供のように、シリアへの逸る気持ちを抑えきれないでいる自分を乗せて4月29日23:30、エミレーツ航空317便は関西航空を飛び立った。5月5日までの今回の貴重な視察で、私はシリアのダイナミズムと人間味溢れるシリア人のホスピタリティーに圧倒されることになる。中東を知ったつもりでいた自分が、いかにシリアに無知であったかを知らされることとなった今回の視察の一端を今後の「ウィークリー・コラム」で随時紹介していきたい。





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