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Q13 では最後に「敬虔でないユダヤ人」はどんな感じ??やっぱり少数派なの

【レウットの答え】

いいえ、少数派ではありません。
実は、イスラエルのユダヤ人の中に一番多いのは私みたいに敬虔じゃない(あまり宗教のルールを厳格に守っていない)ユダヤ人です。ユダヤ教のルールでは、「お母さんがユダヤ人だったら子供もユダヤ人」と決まっています。逆に言うと、お父さんがユダヤ人でも、お母さんが外国人だったら、その子供は「ユダヤ人」ではない、ということなのです(ユダヤ人として育てられても、ユダヤ教のルールを守っても・・)。びっくりしましたか?イスラエルの中にも、このルールをおかしいと思っている人もいます。「ユダヤ人」であるということは、お母さんが誰かということだけでなく、ユダヤの伝統や習慣や知恵や歴史など、他にも大事なことが含まれていますし・・・。

この“お母さんのルール”のため、ユダヤ人は宗教のルールを完全に守らなくても、ユダヤ人であることに変わりありませんから、敬虔ではないユダヤ人が多くなって来ました。
そして、ディアスポラの時と違って、イスラエルに住むとユダヤ教の習慣を守るのにあまり特別な努力をしなくてもよくなりました。単にイスラエルに住むことを通じて、なんとなくユダヤ教の生き方に沿って生活しますから、敬虔じゃなくても暮らせば良いという考え方を持っているイスラエル人も増えてきました。

このポイントをこれから、もっと詳しく説明したいです。

前に書いたようにユダヤ人はイスラエルが独立する前に長い間離散して世界中の色んな国に住んでいました。その国々(イギリス、ロシア、ポーランドなど)は「ディアスポラ」という言葉で表しています(その時代もディアスポラの時代と呼ばれています)。ディアスポラの時代に、「ユダヤ」という身元を守るのには、全力を尽くすしかありませんでした。ぜんぜん簡単なことではありませんでした。

例えば、主にキリスト教の国に暮らしていたので、クリスマスや、イースターなどの祝日は全国で休みの日になって、お祝いして、祝日の雰囲気が強く感じられましたが、ユダヤ人は関係がまったくなかった上、ユダヤ教の祝日がその国の普通の平日であったので、休めないで、相変わらず仕事や生活の必要なことをやり続けないとなりませんでした。そして、習慣を守るのが不便どころか、宗教上いつも迫害もされてしまいましたから、自由に習慣を守るのももっと難しくなイスラエルを建国したことで、ユダヤ人はユダヤ人として自由に生活が出来るようになったばかりでなく、基本的にユダヤ教の国なので、イスラエルでの生活も「ユダヤ風」です。

つまり、ユダヤ人の生活をするために、もう努力することが必要じゃなくなりました。今では全国的に習慣が維持されています:ユダヤ人の祝日がカレンダーにも書いてあるし、全国でお祝いしているし、精神の土曜日も守っているなどです(後でもっと長く書きます)。日本で正月やおひな祭りなどに先立ってデパートで色々な品物も売っていれば、祝日の日に全国で特別な事も行います。皆は当たり前のことだと思っているかもしれませんが、ユダヤ人にとって、例えば、“過ぎ越し”の時どこの店に行っても、祭りの伝統的な品物を見ることができるのは昔から憧れていた夢でした。イスラエルの独立まで、想像できなかったことで、ユダヤ人にとってとても有意義で大切なことです。そして、現在もイスラエルならではのことです。つまり、過ぎ越しの祭りの時、海外で買い物したら、もしかしたら過ぎ越しの祭りの物ではなく、イースターの品物を見つけるかもしれません。

このように、イスラエルに住んでいるユダヤ人がイスラエルに住むだけでユダヤの身元を守れるようになりました。それで、過半数のユダヤ人は平凡な生活をしながら、伝統的に祝日を祝ったり、ユダヤ人の習慣を守ったりしています。しかし、守ると言っても、敬虔じゃないユダヤ人はたいていきちんと習慣とルールを守っていません。勝手に守りたいか守りたくないかと決めています。

私はユダヤ人でも、ユダヤ教のルールによって食べてはいけない豚肉とかお寿司とか自由に食べています。土曜日に車とか電気製品を使ってはいけなくても、好きなように使っています。ユダヤ人でも、ルールを守るのをあまり大切にしていません。私にとって、ユダヤ人であるのがルールを守るという意味ではないと思います。良いユダヤ人になるのに大事なことはルールより、周りの人に優しくして、大切にすることだと思います。手伝ってあげることです。

私は聖書に書いてある特別な文によって生きるようにしています:一つは「ヴェアハヴタ・レレアハ・カモハ」、「自分を愛しているように他人を愛して」。例えば、自分が自分の考え方や志望を尊重する気持ちを抱いているからこそ、他人にも私がそういう大切に思っていることを尊重してもらいたいです。それで、他人も配慮するべきだという意味です。もう一つは「アル・タアセ・レハベレハ・マシェサヌ・アレハ」、「自分が嫌に思っていることを他人にしないで」。基本的に二つの表現は似ています。つまり、他人の気持ちを配慮しながら生きるべきだということです。例えば、いじめられたくなかったら、他の人をいじめないでということです。私は突かれるのが大嫌いなので、他の人を突きません。また、他の人が嫌いなことをやりません。例えば、私はクリームが入っている食べ物が食べられないので、友達の家を訪ねた時に、そういう料理が出たら、不安になります。私はそういう悪い気がしたくないですからこそ、菜食主義者の友達を私の家に誘ったら、肉を出しません。お互いの気持ちに配慮したいので、いつも相手のことを思うようにしています。

そして、自己表現とは、どう自分が振舞うかということですから、相手は最終的にどうするかが(本当に自分のことを配慮してくれるか)と関係なく、自分はどうするかが、大切です。自分が実際に配慮してもらえなくても、私はその人に配慮してもらいたいので、必ず相手を尊重します(もしも私が牛乳お飲ませられても、そういうことがとても嫌なので、友達に肉を食べさせることはしないということです)。それで、私は他のユダヤ人(敬虔なユダヤ人など)の暮らし方、彼らが選んだ生活の仕方を尊敬しながら、自由に選んだ道を歩くことにしました。



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