Q21
:
「キブツ」での生活はどんな感じなのですか?
|
【レウットの答え】
元々キブツは、皆で耕作できるように設けられました。キブツにいる人は皆が平等に暮らしていました。つまり、各人は(老若男女)自分の力に応じて出来ることを出来る限りやりました(例えば、体が弱い人が肉体労働の代わりに事務をしていました)。
食事の際も、皆一緒にキブツの食堂で食べました。そして、立場に関わらず、生活するのに必要なもの(家や食べ物や医療施設など)を同じようにもらいました(例えば、搾乳する人と会計係でもらうものが同じでした)。一方、給料はぜんぜんもらいませんでした。そもそも給料という考え方がありませんでした。
つまり、普通は、給料をもらうために一生懸命働きます。働いた成績によって給料は違うでしょう。もっとしっかり働けばもっと給料は高くなるかもしれませんし、自分がもっと偉くなることを目的に働いていると言っていいと思います。
一方、キブツで給与のためではなく、自分のためではなく、皆のために、国のためにしっかり働いていました。それで、給料をぜんぜんもらわないで、その代わりに皆と同じように生活に必要な物とサービスをもらいました。そして、個人の所有物という考え方はなく、すべてキブツのものでした(それで、例えば、家を相続できませんでした)。
子供たちは両親と一緒に暮らさずに、子供向けの家に住んで、育てられました。子供の家に乳母がいて、子供たちの世話をしていました。ただし、もちろん、両親と過ごす時間もちゃんと作りました。それでも、やっぱり簡単な生活ではありませんでした。
多分皆さんは、その人たちがどうしてそういう辛い道を選んだのかと不思議に思っているかもしれません。
実はそれはすべて抱いた信念のためでした。
独立の前と後の時期、国を建設することが一番大切でした。それで皆で力を入れて、新しい未来を作ろうという気が強く感じられました。たとえ自分の気持ちや、したいことを抑えなければならなくても。
そういった特別な雰囲気の中でキブツを建設しました。土地を耕すことを通じてイスラエルを建設できるということでした。
つまり、農業を共同で行う仕組みです。その大事な目的のためには犠牲してもよかったとの信念を持っていました。何でも国、いわゆる、皆のためにやるべきだと強く思っていたので、辛くても当たり前のことでした。その人たちはたいていヨーロッパ人で、知識も非常に広かったし、過半数はとてもいい家族に生まれたのに、楽な生活よりも、社会主義を道具にしてイスラエルを建設しようという意思をもってイスラエルにキブツを設けに来ることを選びました(大切なのはロシアと違って、社会主義は狙った目的ではなく、国を建設することが目的でした。社会主義は、その的が射れるようにするための用具でした)。
実は私のお母さんはキブツで育てられました。お母さんの話を聞くと、本来のキブツの価値と雰囲気が身近に感じられて、とても特別なところだったという印象が残ります。本当に、とても特別だったと思います。そういうふうに、自分のためではなく、他人のことをいつも先に考えて暮らすのが、なんともいえず素晴らしいことです。今もう稀なことになったと思いませんか。
私のお祖父さんは亡くなるまで、皆のためにしっかり全部の動力を入れて働きました。本当に普通の生活ではありませんでした。時間が経てば経つほど条件はもちろん、人の考え方も変わってくるので、現在のキブツと初期のキブツはぜんぜん違います。現在、キブツに住んでいる人はイスラエル人の4%以下しか占めていません(元から少なかったですが、現代もっともっと少なくなりました)(http://nvnv.essortment.com/whatiskibbutz_rghm.htm)
現在、過半数のキブツでは子供たちは両親と一緒に暮らしますし、農業ばかりでなく色々な職業もやっています。例えば、靴や洋服などを作っているキブツもあるし、観光を中心にしているキブツもあります(例として、キブツの普通の部屋を観光客に貸しているキブツもあるし、ホテルが特別な観光向けの部屋を持っているキブツもあります。そして、たいていキブツの食堂ではなく自分の家で家族と食事をします。もちろん、キブツによって違いますけれど、やっぱり元の特別な雰囲気ではなくて、ちょっと小さい田舎にある町になったという気がします。
|
|