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Q43  ユダヤ人の一生  3)結婚の前に儀式は全然ないの?

【レウットの答え】

考えてみたら、ユダヤ人の一生の中で、バー/バット・ミツバから、次の大事なことは結婚式になります。しかし、結婚式を描写する前に、なぜ12/13歳の時から結婚するまで、長い時間が経っても、目立つ儀式がないのか、説明したいと思います。

日本と違って、入学試験や、就職活動などの前に神社にお願いに行くような習慣がありません。皆が知っているように、日本の神道には、いろいろな神様がいるでしょう。それぞれの神社に違う願望を叶えてもらうために行くことが出来るでしょう(すぐ頭に浮かんできたのは、私の日本語学校の同級生は日本の大学入試の結果が発表される日に、わざわざ湯島天神に行ったことです)。ユダヤ教では全然違います。

そもそも、ユダヤ教は一神教です。神様は一つだけで、万能ということです。神様は何でも知っているし、何でも出来るし、どこにもいるので、見逃さない者もありません。「何でも」ということは、一番小さい意義がないものから、非常に大事なものまで、ユダヤの神様が支配しているということです。どこにも誰がいるかも全部知っていますから、シナゴーグがあっても、神様が祈りを聞くためにわざわざシナゴーグまで行くことはありません。

それどころか、実は聖書によると、神様にとっては「神殿」という場所も作らなくてもよかったのです。人間は神様のルールを守りながら生活するだけで十分なのですが、神様は、人間には神様に対する感謝や誇りを表す方法や場所を作ることが必要なのだということを知っていました。神様は一般的な人間には抽象的なことが把握しにくくて、具体的にする傾向があるという弱点を予言して、参拝の仕方もあらかじめ設けたのです。もちろん、歴史の流れに伴って参拝の形が変わってきて、現在のシナゴーグまでに至りました(そして、自分の言葉で普通に話すように祈るのではなく、「日」と「祈りの内容」によってシナゴーグや自分の家などで祈祷書を読むことによって、お願いをします。けれども、お祈りをしたくなったら、場所や宗教上の物(例えば日本の絵馬など)が特に必要じゃなくて、ただ純粋の心でお祈りすることです(もちろん、シナゴーグに行く習慣もあるし、宗教上で使われる物もいろいろありますが、基本的には心で神様に直向するのが一番大切)。

そして、ユダヤの神様は「救済の神様」という名前もついていて、皆の心の揺れが分かっているようです。神様は、悪いことも良いことも知っているので、人間がただ願ったり祈ったりするだけで、願望が成就するというわけではありません。基本的には、ずっと神様のルールを守っていれば、幸せに暮らせるとされています。ただし、ユダヤ教で特別なのは、ここで言う「神様のルール」というのが、人間と神様との関係についてだけではないことです。自分と他人にとっての振る舞いについてルールもあるし、自然との関係についてもルールもあります。(もちろん、神様のルールを誤ったからといって、もう帰り道がないというわけではありません。ユダヤ教の神様には「エル・ラフム」=「哀れむ神様」というイメージもあります。

前に書いたように、ユダヤ教は一方的な宗教ではなくて(ここで言う“一方的”というのは、神様の側だけが何かをやってあげて人間はただ祈るだけ、という意味です)、「サハー・バ・オネシュ」=「善行の報いと罰」という制度があると信じられています。つまり、神様から“善行の報い(良いこと)”が与えられるのか、それとも“罰(悪いこと)” が与えられるのかは、人間の活動や暮らし方に応じて決まるとされています。しかし、現実には、皆さんの周りの人を見ると、とても優しくていい人なのに、大変難しくて辛い毎日を送っている人を知っているに違いありません。こういうことは、「善行の報いと罰」の制度とぶつかってしまうと思うかもしれません。

ユダヤ人もまったく同じような疑問を持ち、戸惑います。例えば、イスラエルでは、よく若者が亡くなります。そういう時、多くの人は「どうして、18歳になったばかりの青年が兵役で亡くならないといけないのか?神様の制度は合理的じゃないじゃないか」と思われています・・・。

実はこの点いついては昔からユダヤ教の叡智で、一つの解釈がされています:「聖者でも苦労しているのに対して、悪者でも幸福な生活をしている」(ツァディク・ベ・ラ・ロ・ラシャ・バ・トッブ・ロ)。

一番広く認められている説明の仕方はこうです:神様が万能なので、現在のことも従来のことも何でも分かった上で、あらゆることを決めていらっしゃいます。それに対して、人間は目の前のことしか見えず、ものごとの結果も予想できません。例えば、「モナリザ」の絵で説明してみると、こういうことです:神様は絵を全体的に見ることができます。微笑みも見るし、モナリザの顔も見るし、モナリザの後ろにある背景も見られます。けれども、人間にはモナリザの微笑みどころか、ただ左側にある点しか見えないのです。それで、ものごとを正しく認識したり判断したりすることができず、神様の決定の意味理解できないのです。

ということで、「なぜいい人が苦悩するのか」の答えは、「万能の神様がなさることには必ず理由があるに違いないのに、小さな存在である人間にはその理由が把握できないから」ということになります。

現在のイスラエルの話をすると、敬虔なユダヤ人は、敬虔じゃないユダヤ人に比べて、「嘆き」に耐えるのがある意味でいくらか楽になるそうです。子供を失った両親が敬虔なユダヤ人ならば、このように考えることで少しは慰められるでしょう。なぜかというと、とても悲しい出来事でも、それは世界の他の全体の出来事と同じように神様の意志でなされたので、何か理由があったのだろうと信じることができるからです。そして、「ハエル・ナタン・ベ・ハエル・ラカー」=「神様が(子供を)与えてから、取り戻した」という表現もあって、それを信じれば、なぜ自分達がそういう大変な目に遭ったのかを理解しやすくなり、深く神を信じていないユダヤ人に比べて、前向きに人生を進める力を与えられるそうです。

話がちょっと逸れてしまいましたが、元に戻しましょう!

これまで長い説明をした目的は、次の通りです。
ユダヤ人は神様にお願いするときに、日本のように習慣的にするのではなくて、神様の力を真剣に信じてお願いしています。

お願いしたから、あるいはいろいろな儀式をやったから実現するというわけではなく、実現するのは、その人の今までの振る舞いや性格や心の純粋さによります。そして、神様との関係は一回のお願いのことだけではなく、ずっと続いています。何か欲しくなった時だけ、ふと神様の存在を思い出すべきではありません。そのため、バー/バット・ミツバを祝ってから、祝日を別にして(後で、祝日についても長く書きます)、結婚するまでは、特別な儀式をしません。思ったよりも宗教行事が少ないという感想をお持ちかもしれませんが、私はむしろそれほど多くないからこそ、それぞれの儀式がもっと有意義で、特別なものになると思います。





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