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ただひたすらに「野球一筋」だった中学・高校時代。勉強は、あまりしなかった。中学校時代は、キャプテンでレギュラーだったが、県立掛川西高時代は万年補欠。三塁コーチボックス(⇒エピソードへ)が指定席に。甲子園出場は果たせなかったが、この時代に本当の友をつくることができた。「甲子園」(⇒エピソードへ)は今でも我々の目標だ。

高校卒業後、渡米。米国に着いてまず驚いたのが、日本人学生の多いこと。そして彼らの多くが日本人同士で固まっていること。今だからわかることだが、この時点での「生活の仕方の選択」が、留学の"勝ち組"と"脱落組"との明確な分岐点になる。辛かったが、私は「英語がものになるまで日本人であることを隠そう」と覚悟を決めた。国籍不明の"謎の東洋人"に成りすました。これなら誰でも私に英語で話しかけなくてはならない。この作戦は成功した。おかげで、良質の米国人とも素晴らしい人間関係を築くことができた。この頃は自分でも本当によく学び、よく働いたと思う。
5年間の米国生活(⇒エピソードへ)で、素晴らしい米国、独善的な米国など、様々な米国を学ぶことができた。米国には問題点が多い。しかし、米国と米国人は恐ろしいほどの包容力とダイナミズムを持っている。米国人のメンタリティーや生活習慣を知らずして、米国の政治は理解できない。米国での大学時代で、政治の基礎を学ぶことができたと同時に、国際社会の中で生活していく上での「基本的なルール」を学ぶことができた。貴重な5年間だった。
(大学の同窓で親友のブライアン・カニングハム現オハイオイ州道路局長の結婚式で"GROOMSMAN"を務めたときの1コマ)

政治を志すきっかけとなった、3年間のイスラエル・パレスチナでの生活(テルアビブ大学での1年、エルサレムでの国立ヘブライ大学大学院の2年)は私の人生に強烈な影響を与えた。そこで出会ったエフド・ハラリ教授や手島佑郎先生、渡辺朗先生(⇒エピソードへ)をはじめとする多くの方々から、政治とは何か、国家とは何か、民族とは何か、歴史とは何か、国防とは何か、生きるとは何か、真剣に考える機会を頂いた。
私と同世代のイスラエルの若者たちが兵役に就き、命を落としていく姿を目の当たりにし、同世代のパレスチナの友が、インティファーダの犠牲になっていくのを目撃した。日本人として、私が何をすべきかを自問自答したのもこの時期だった。時はあたかも、冷戦崩壊と湾岸戦争勃発といった、激動の時代だった。自分自身、テロに襲われたことも経験しながら、「政治」の大切さを身体で学び、政治家になろうと決意したのもこの時だった。
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