しんば賀津也
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TOP>ハラリ・レウット プロフィール

レウットの自己紹介

 ハラリ・レウットと申します。ハラリが苗字でレウットが名前です(ヘブライ語で、レウットというのは友情という意味です。それで、実は日本人だとしたら"友子"になります)。1982年11月7日にイスラエルで生まれ、21歳です。お父さんのエフドは学者で、政治学科と日本政治学科で教授をしています。お母さんのルティはもともと司書で、今英語の家庭教師です。両親は日本で結婚しました。

私は三人兄弟の一番下です。お姉さんのイラーは心理学者で、お兄さんのオムリーはハイテクの専門家で音楽家です(彼は東京生まれ)。9歳の時、お父さんの新しい日本人の生徒さんを紹介してもらいました。


榛葉・賀津也という生徒でした。紹介してもらってから、あっというまに"かーくん"になりました。素晴らしいことに、その時からお兄ちゃんが二人になりました。いつもふざけていて、楽しんで遊んでいました。それで、三人兄弟といっても、実は四人兄弟ですね。

父の仕事のおかげで世界中の様々な国に住んだことがあります。1983年から1985年までイギリスのオクスフォードにも、1987年から1988年までカナダのバンクーバーとアメリカのバークリーとワシントンD.C.にも暮らしたことがあります。カナダの幼稚園とアーリントン、ヴァージニアで勉強したおかげで、英語が私の二番目の母国語になりました。イスラエルに帰国してからイスラエルの小学校、中学校と高校に通っていました。高校の専攻科目は物理学、化学、英語、数学とダンスでした。2000年に高校を"学業と社交面で卓越している表彰"を受けて卒業しました。学生時代には、ピアノ、フランス語とダンスを学びました。高校生の時、今も付き合っている自閉症にかかっている二人の子供たちの世話をしました。そして、1ヶ月半ずつオクスフォードに1回と東京に2回行きました。高校を卒業してから両親と1年2ヶ月ぐらいの間、東京に住んでいました。その時、YMCAアジア語学院日本語学校で日本語をしっかり勉強して、卓越賞をもらいました。兵役に就くために帰国して、1年9ヶ月ぐらいの間任務をしました。その時、イスラエルの日本大使館で日本研究者や日本に興味を持っているイスラエル人に相撲を例に日本の文化と歴史についての講義もしました。

除隊してから日本語を磨くためにもう一度、一人で、日本にきました。今ホームステイをして、日本語を勉強しながら、榛葉事務所でインターンとして議員会館にも来ています。これから中東問題について書いていきますので、どうぞイスラエルについて知りたいことがありましたら、私宛にメールを送っていただきたいです。これから、それについてもお答えしていきたいと思います。よろしくお願いします!


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